帽子の歴史

帽子の歴史

私たちが帽子の歴史を調べようとする時、世界史、特に西洋史との関連なくして考えることはできません。つまりモードはヨーロッパ諸国においてはその国の風土、国民性、気候、時勢、精神文化、生活様式、芸術などと総合され融合して、その時代の社会情勢にきわめて敏感に反応しつつ移り変っています。
その流行の多くは、十九世紀に入るまでは指導的立場にある上流階級の人々によって定められ、しかもぬきん出た国において創りだされたものがそれぞれの国の間でたがいに影響しあい、進展するにつれて移動していきました。そしてその中で帽子はいつもドレスと一体となってあらわれています。時代背景とドレスを切り離して単独で帽子を知ることはむずかしいのです。

帽子の実物は、十六、七世紀にいたるまでヨーロッパにおいても特珠のものを除いては保存されていない状態ですが、墳墓の壁画や彫刻、あるいは絵画などにより推測できます。

帽子は原始時代、すでにあらわれていたといわれています。はじめは日光の直射を避ける、寒さを防ぐ、頭部を守ったり髪の乱れを防ぐという実用的な理由であったものが、集団で生活するようになると、自分をより美しく見せようとする気持も出ていろいろ考案され、次第に複雑な豪華なものへと発展して、やがては身分や階級を示すようにもなりました。

◆日本の帽子はいつ頃から?

■帽子の始まり
帽子のそもそもの始まりをいろいろな資料でみると、ずいぶん昔から、帽子というよりその類似品や、帽子の前身らしいものがあることが実証されている。
古くは、はにわの中にも帽子をかぶっているものが発見されているし、人間の生活の始まりと起源を一つにしているといえよう。
中国の漠代(紀元前202年〜9年)に被り物ができ、わが国では、神代紀の作笠(かさぬい)が、その始めといわれている。
また「古事記」「日本書紀」に早く冠(カンムリ)や笠の語がみえている。聖徳太子も冠をかぶっているが、これは仏教の伝来とともに、お隣りの中国から入ってきたものとされている。
奈良時代に官制が定められ、68三年(天武11年)に漆紗冠と圭冠ができたが、後者が発展して烏帽子となった。
烏帽子は、奈良時代から江戸にいたる男子のかぶりもので、黒の紗、絹などで袋状に作ったやわらかなもので、本来は日常用のものであった。朝廷に出仕するときは冠をかぶり、日常は一般庶民と同様に帽子をかぶったわけである。
奈良朝のころの絵には、大工さんが烏帽子をかぶっているのが見られ、これが平安朝に入ると、はっきりとそれをかぶ人の身分階級をあらわすようになってきた。
公卿は直衣、狩衣などの略装のときには烏帽子をかぶることとなり、黒漆塗りの絹紗あるいは麻製と形式が定まり、水や下男など身分の低い人はど、木綿のような布地を使い、これを萎烏帽子という。
烏帽子の基本は立烏帽子で、それもかぶる人によってさまざまに変化していたのが特徴になっている。殿上人、位の高い人はど文を刺繍したものが用いられ、垂凄冠(すいえいかん)といった。源氏物語にみられるように、火急の場合は桧扇を折って、垂棲をくるくる丸めてはさんでいた。
鳥羽上皇のとき、強装束の流行にともなって、漆で塗りかためた紙製の烏帽子があらわれ、またこの時代に綾南笠(あやいかけ)や市女笠(いちめがさ)などの笠も流行した。
鎌倉、室町、戦国時代になると、帽子は戦争の必需品となってくる。
鎌倉時代は、前代につづいて男子はもっぱら帽子を用い、その発達には若しいものがあった。女子は広巾女笠を用いたが、身分の高い女性の被り物として、常盤御前がかぶっていた常盤笠が知られ、これはうるしで塗妻折といわれる。安寿と厨子王の物語にも出ててくる。
室町時代には、侍烏附十というものがでさてきた。今でも相撲の行司がかぶっているものの原型である。曽我兄弟もこれをかぶっている。かぶとは偉い人の専用で、平侍は陣笠しかかぶれなかった。また、打ちつづく戦乱のために、武士の間に露頂(冠をつけない)の風がおこり、女子の問に桂包(かつらつつみ)がおこなわれた。
鎌倉時代の初期から江戸時代にかけて、冠が使用され、山伏や天狗の頭巾もこの冠の一種とされている。また、三位以上の人の被り物として、儀式用の金色の冠をかぶったところから三位の冠といわれ、江戸時代には、武士の正式の儀式にはこれを使用している。
また、騎射笠といって、身分の高い人や武士が狩をするときにかぶった笠もあり、大田道灌のかぶっていたスタイルがこれである。
安土桃山時代になると、笠はいよいよ広く男女にわたって着用されたが、またこの時代にヨーロッパから帽子が伝来し、南蛮笠、南蛮頭巾などとよばれた。
この時代の初めには、女子は外出のときに被綿(かつぎ)を用いたが、承応年間(1652〜4)に禁じられて気健頭巾にかわり、それが廃されて寛文.延宝年間(1661〜81)には老若の別なし累欝浅黄紅の帽子になった。
綿帽子は安土桃山時代には男子もこれを用いたが、この時代にはいってもっぱら女子の被り物となった。また角隠しともよばれ、揚帽子、綿帽子とともに現在でも新婦が結婚式の際かぶっている。
江戸時代にはいると、笠、帽子、頭巾など被り物の種類はますます豊富となり、これが天下泰平とともにはなばなしく流行した。
この時代に笠は広く男女にわたって用いられたが、頭巾は主として男子の被り物とされ、帽子はもっぱら女子の被り物として発達した。
その後、歌舞使俳優の野良帽子にならって布寓で作られたものが多くなった。沢之丞帽子、やでん帽子、菖蒲帽子、瀬川帽子と称されるものがそれであり、俳優の名にちなむものである。
萩野沢之丞創作の沢之丞帽子は紫で、左右に鉛のおもりをつけたもので、一名おもり帽子という。菖蒲帽子は芳沢あやめ、瀬川帽子は瀬川菊之丞の創作であり、やでん帽子はかつらや伝兵衛の作で、四角の絹の四隅におもりをつけたものである。
これらはいずれも元禄時代の流行品であるが、その後百年の文化、文政時代には帽子をかぶることがすたれ、お高祖頭巾になった。やはり、帽子の歴史は明治以後にゆずらねばならないだろう。
(資料 小学館百科辞典)
国別や時代それぞれの話題は、
http://www.hatandcap.or.jp/hundred_pages/europa_pages/europa.html
に詳しいので、そちらをご覧ください。
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